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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)2404号 判決 1982年10月25日

控訴人

亡田島一郎こと陳克譲訴訟承継人

右法定代理人相続財産管理人

古閑孝

右訴訟代理人

安藤章

被控訴人

田島明峰

右訴訟代理人

伊藤伴子

主文

原判決を取り消す。

一審原告亡陳克譲の相続財産管理人古閑孝が昭和五六年五月二七日付けでした本件訴えの取下げ及び同遺言執行者古閑孝ほか二名が昭和五五年一〇月一一日付けでした本件訴えの取下げは、いずれも無効であることを確認する。

事実

第一  申立て

控訴人訴訟代理人は、「原判決を取り消す。本件を東京地方裁判所に差し戻す。」との判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、主位的に控訴却下の、予備的に控訴棄却の判決を求めた。

第二  主張

一  被控訴人

1  (本件控訴の不適法)

本件控訴は弁護土安藤章が昭和五六年一〇月八日に控訴人訴訟代理人として提起したものであるが、右安藤は、これより先の昭和五六年九月二五日、一審原告亡陳克譲(以下「亡陳」という。)の相続財産管理人である古閑孝により、右亡陳からの本件訴訟事件についての訴訟委任を解除されて訴訟代理人たる地位を失つたものであり、右古閑は、そのころ右事実を原裁判所に届け出るとともに、被控訴人に通知した。

したがつて、本件控訴は権限のない者により提起されたもので不適法である。

2  (控訴人の後記主張に対する反論)

(一) (控訴人の主張1に対して)

被相続人が当事者として訴訟を追行するために選任した訴訟代理人がいる場合において、相続財産管理人が右訴訟代理人を解任する行為は、相続財産の管理に必要な保存行為である。相続財産管理人にそのような権限が与えられていないと、相続財産管理人の相続産に対する管理権限は有名無実となる。

(二) (同2のうち、遺言執行者と相続財産管理人の関係についての主張に対して)

被相続人の遺言執行者と限定承認に伴う相続財産管理人とが併存する場合においても、後者の訴訟上の地位は相続人全員の法定代理人と見るべきであり、前者の法定代理人になると解するのは控訴人の独自の見解である。限定承認がされ相続財産管理人が選任された以上、遺言執行者の職務権限は限定承認に伴う相続財産の管理、清算が終了するまでは停止すると解すべきである。

(三) (同2のうち、家庭裁判所の許可についての主張に対して)

相続財産管理人の権限については民法二八条の規定が準用されているが、同条掲記の同法一〇三条は財産の管理に必要かつ有益な行為を具体化して列挙しているものである。ところで、亡陳の相続財産管理人古閑による本件訴えの取下げは、同人が、相続財産管理人としての職務上、本件訴訟の目的不動産が亡陳の相続財産に属しないと判断し、訴訟の完結を遅らせることはかえつて相続財産の確定を遅らせ、その管理に支障が生じると考えたことによるものである。したがつて、本件訴えの取下げは亡陳の相続財産のために必要かつ有益な行為であり、しかも、これにより相続債権者、受遺者及び相続人らのいずれもが不利益を被ることはないから、右訴えの取下げについての家庭裁判所の許可は不要と解すべきである。このことは、本件事案においては、相続財産にとつて何が民法一〇三条所定の行為に当たるか否かについて極めて実体的な考察を必要とするにもかかわらず、家庭裁判所にはそのような実体的判断をする機構も機能も有していないことに照らすと、なおさら明白である。

二  控訴人

1  被控訴人主張のとおり安藤章が昭和五六年九月二五日ごろ亡陳相続財産管理人古閑孝から本件についての訴訟委任を解除する旨の意思表示を受けたことは認めるが、右意思表示は家庭裁判所の許可を得ないでされたものであるから無効である。

2  原判決は、亡陳の死亡に伴う本件訴訟手続の承継人は相続財産管理人古閑であるから、同人による本件訴えの取下げは有効であり、亡陳の訴訟承継人が相続人全員としても、右訴えの取下げは相続財産管理人が相続人全員の法定代理人としてしたものと見ることができ、いずれにしても有効であると判示するが、亡陳は遺言をもつて遺言執行者として安藤章を選任しているので、本件訴訟手続を承継すべき者は遺言執行者たる安藤であり、前記相続財産管理人は右遺言執行者の法定代理人となるものである。ところが、相続財産管理人古閑が原審でした訴えの取下げは、本人である遺言執行者安藤の意思に反するばかりか、家庭裁判所の許可を受けていないから無効である。

理由

一一件記録によれば、次の事実が認められる。

1  本件控訴は、弁護士安藤章が昭和五六年一〇月八日控訴人訴訟代理人として提起したが、同弁護士は、昭和五四年三月八日本訴を提起するに際し、亡陳から控訴・上告を含む訴訟委任を受けた者であり、その旨の委任状は原裁判所に提出され、本件記録に添付されている。

2  亡陳は、台湾に戸籍を有する者であるが、昭和五四年六月八日死亡したところ、東京家庭裁判所は、昭和五五年九月二二日、法例二五条、中華民国民法一一五四条の規定により同人の相続人のうち芳賀連子及び田島英光の両名からの限定承認の申述を受理し、民法九三六条一項、家事審判規則一一六条の規定に基づき亡陳の相続財産管理人として古閑孝を選任した。

3  右のとおり選任された相続財産管理人古閑は、昭和五六年九月二五日ごろ、前記安藤に対し亡陳からの前記訴訟委任を解除する旨の意思表示をし(この事実は当事者間に争いがない。)、その事実を原裁判所に届け出るとともに被控訴人に通知した(被控訴人に対する通知の事実は弁論の全趣旨により認める。)。

4  一方、右相続財産管理人古閑は、これより先の昭和五六年五月二七日、本件訴えの取下書を原裁判所に提出した。

5  亡陳訴訟代理人安藤は、昭和五六年六月一日、原裁判所に対し、本件につき口頭弁論期日指定の申立てをしたため、原審において右訴えの取下げの効力の有無につき審理され、原判決が言い渡されるに至つたものである。

6  なお、亡陳は、昭和五二年七月一六日、東京法務局所属公証人三堀博作成の公正証書によつて遺言をし、同人が本件訴訟において被控訴人に対し所有権を主張して登記名義の回復を求めている本件不動産を遺贈の対象とし、遺言執行者として前記安藤章を指定した。ところが、古閑孝ほか二名の者は、昭和五五年一〇月一一日、原裁判所に対し、安藤は同年九月一九日中華民国民法所定の親族会議において遺言執行者たる地位を解任され、古閑ほか二名が遺言執行者に選任されたとして本件訴訟手続についての受継申立書を提出するとともに、本件訴えの取下書をも提出したが、一審原告訴訟代理人安藤は、原裁判所に提出した昭和五六年五月一九日付け準備書面において、右親族会議による安藤に対する遺言執行者解任決議は同年同月一五日台湾の桃園地方法院において言い渡された判決により取り消された旨主張している。原審は前記遺言執行者からの訴訟手続受継の申立てにつき昭和五六年五月二六日これを却下したが、右遺言執行者からの本件訴えの取下げの効力については触れるところがなかつた。

二ところで、民法九三六条一項の規定により選任された相続財産管理人は、同条三項、九二六条二項、九一八条三項、二八条の規定により同法一〇三条所定の権限を超える行為をする必要があるときはあらかじめ家庭裁判所の許可を得てこれをしなければならない。そこで、問題は、相続財産管理人が、被相続人から訴訟委任を受けて同人の訴訟承継人のために訴訟を追行している訴訟代理人を解任すること、あるいは、被相続人が提起した訴えを取り下げることが、民法一〇三条所定の権限の範囲に属するか否かである。

まず、訴訟代理権についてみるに、訴訟代理人は本人との間の強い信頼関係を基礎として委任の目的達成のために尽くしているものである。そして他面においては、訴訟代理制度が訴訟の円滑、迅速な進行を目的とし、かつ、訴訟代理人は原則として弁護士であるため、訴訟代理権の範囲は包括的に法定され(民訴法八一条)、本人の死亡その他民法上の代理権消滅事由と同じ事由が生じても、一定の限度において訴訟代理権は消滅しないものと定められている(民訴法八五、八六条)。

次に、訴えの取下げについてみるに、相続財産管理人による訴えの取下げは、被相続人ないしはその訴訟承継人の訴訟追行による訴訟関係を消滅させ、訴訟による権利又は法律関係の確定を阻止する行為であり、これが重要な訴訟行為であることは、右のとおり民事訴訟法が訴訟代理権の範囲を包括的に法定しながらも、訴えの取下げはいわゆる特別委任事項としている(同法八一条二項、なお、五〇条二項)こと、また、裁判上の請求による時効中断の効力も訴えの取下げがあれば生じないものとされている(民法一四八条)ことからも十分にうかがうことができるのである。原判決が説示するように再訴の提起の可能性を考えるにしても、出訴期間の定めがある場合(たとえば、行政事件訴訟法一四条)や終局判決後である場合(民訴法二三七条二項)のように再訴が不可能となる場合があることを考慮せざるを得ない。

このような訴訟代理制度の特質や訴えの取下げの性質にかんがみると、相続財産管理人が、被相続人が提起していた訴訟について、同人の選任した訴訟代理人を解任したり、その訴えを取り下げたりするのは、法律関係の現状を維持するのとは大きく異なり、訴訟代理制度の活用による訴訟手続の円滑な進行ないしは訴訟手続による権利又は法律関係の確定を阻止する重大な効果をもたらすものであつて、民法一〇三条所定のいずれの行為にも属さず、したがつて、家庭裁判所の許可を得てしなければならないものというべきである。被控訴人は、被相続人の選任した訴訟代理人を家庭裁判所の許可を得ることなく解任する権限が相続財産管理人に与えられていないと、相続財産管理人の権限が有名無実化すると主張するが、いわれのない独自の見解である。また、被控訴人は、相続財産管理人古閑による本件訴えの取下げについては、それによつて妥当な結果を招来こそすれ、何人にも不利益を与えないから家庭裁判所の許可を要しない旨主張するが、ある行為が民法一〇三条所定の権限の範囲に属するか否かは当該行為の性質によつて決まることであり、結果のよしあしによるものではないから、被控訴人の右主張も理由がない。

三本件において、亡陳を承継すべき者がだれであるかはともかくとして、一の3に認定した相続財産管理人古閑による亡陳訴訟代理人安藤に対する解任及び同4に認定した右古閑による本件訴えの取下げは、亡陳の訴訟承継人の法定代理人としてしたものと見ることができるものの、あらかじめ家庭裁判所の許可を得ていることを認めるべき資料はないから、先の説示に照らしていずれも無効である。

そうすると、相続財産管理人古閑からの解任により控訴人訴訟代理人が本件控訴提起に先だつて訴訟代理人たる地位を失つていたことを前提として本件控訴を不適法とする被控訴人の主張は、理由がなく採用できない。

また、相続財産管理人古閑からされた本件訴えの取下げが有効であることを前提として本件訴訟が終了していることを宣言した原判決は相当でなく、本件控訴は理由がある。

四なお、一の6に認定したとおり古閑ほか二名の者が遺言執行者として昭和五五年一〇月一一日付で提出した本件訴えの取下書の効力について一言する。原審は右取下書の提出後も数回の口頭弁論期日を重ね、昭和五六年五月二七日に相続財産管理人からの訴えの取下書が提出されるに及んで、後者の取下げを有効と認めて本件訴訟終了宣言をしていること、その間原審が昭和五六年五月二六日、遺言執行者からの訴訟手続受継の申立てを却下していること等に徴すれば、原審は遺言執行者からされた右訴えの取下げを無効と解しているものとうかがわれる。当審も前記遺言執行者からされた訴えの取下げは無効と解する。その理由は遺言者を当事者とする訴訟は同人の死亡によつて遺言執行者が承継すべきものとしても、限定承認されたために相続財産の管理人が選任された場合には、右相続財産管理人の管理清算権が先行し、遺言執行者の管理処分権は限定承認の清算手続が結了するまで休止せざるを得ないからである。したがつて、右古閑らが遺言執行者として提出した右訴えの取下書によつて本件訴訟が終了したものと認める余地はない。

五よつて、原判決を取り消し、職権により前記各訴えの取下げがいずれも無効であることを確認し、なお、これにより、原審での本案訴訟は当然に進行することになるので、差し戻す旨の判示はしないこととして主文のとおり判決する。

(鰍澤健三 奥平守男 尾方滋)

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